<日記>僕が世界で最も「許せない」事件。

先日8日に起こった「秋葉原通り魔事件」。あれから連日の様にワイドショーで取り上げられ、その詳細が明らかになるにつれその凄惨な犯行に激しい憤りを感じてる自分が居る。

皆さんもご存知の通り、僕は親友を病気で亡くしたばかりなもので、多少こういう事件にナーバスになってる事はあるかも知れない。だが、それを差し引いたとしてもこの犯人だけは、絶対に許せない。

「好きな事で死ぬ事が幸せ」なのか否かと言う事は、こちらで以前書いた事ではあるが、志半ばに突然何者かに命を奪われてしまった方からすれば無念としか言い様が無いし、ご遺族の悲しみも相当なものである筈と思う。

「人生は、戦いである」と僕は親友である師匠の生き様から学んだ事だが、こんな形で命を失った方々においてはこれからのその人生を戦う事すら許されなかった。だから、こんな形で前途のある人たちの命を奪った犯人を僕は許せないし、こんな身勝手な人間を生み出してしまったこの世の中を恨めしくも思うのである。

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僕が何より許せないと思ったのは、あれだけの惨事を引き起こしておいて、この犯人が警察官に逮捕されるまでの経緯で警官が銃を出した直後に大人しくなったと言う事。

「あれだけ人を刺しておいて、自分が死ぬ事とか痛い事は嫌なのか!」とさすがに憤慨した。

思うに、この犯人は「大人になり切れていない大人」の最も悪い見本だと思う。
「自分さえ良ければ人はどうでも良い」と言う、自分の鬱憤を晴らす為に人に迷惑を掛ける事も厭わない人間の最も最悪な見本とも言うべきか。

「これまでの人生が嫌になった」と言う供述自体も、その犯人の甘さを象徴してる様に感じる。
僕から言わせれば、まだまだ青いとしか言い様が無い。

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犯人がこの記事を読む事は無いと思うが、これからを生きる若者が「人生が嫌になった」とかで、こういったバカな事を考える事をやめさせる為にも、僕は一言言いたい。

「本当に人生が嫌になった人間と言うのは、そういう事すら考える余裕が無い人間の事を言うのだ」と。

「人生が嫌になった」と自分の頭で考えられる時点でまだまだその思考には余裕があると思う。
人間が駄目になっていく事はそういう言葉で表せる事では無く、少しずつだが病気の様に自分自身の、その精神そのものを蝕んでいくものだ。それらが発展していくと知らず知らずの内に情緒不安定になったり、やがては自殺願望とかネガティブな方向に思考が傾いたりする。

僕から言わせれば、会社の待遇が悪かったなんて程度の理由で「人生が嫌になった」と公言出来る人間はまだまだ甘いし、今のこの自分の人生を戦いきれていないと思う。

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今のこの時期、今年学校を卒業した新卒者の方々はもう散々辛酸を嘗め尽くして社会の厳しさを実感している頃合だと思うが、もしそう言った方がこの記事を読んでるとしたら、僕はその貴方に心からこう言いたい。

「人生は必ずしも自分の思い通りにはいかない。だからこそ、自分の思い通りにする為に社会や、自身の人生と”戦う”のだ」と。

僕がここで言う戦いとは、あくまで先の事件の犯人のように人に危害を加える事では無い。
人生における戦いとは、あくまで自分を磨く事。人に認めて貰えないのなら、認めて貰う為に最大限の努力をする事。自分が後悔しない為に最大限の努力をする事。

長い人生の中には、様々な壁がある。だから、些細な事でつまらない癇癪を起こした末に、人様に危害を加えるようなつまらない大人にだけはなって欲しくない。

「若い頃の苦労は買ってでもしろ」とはよく言った言葉だと思う。先の人生を「楽しむ」為にも、これからを生きる若者にはまず今を戦って欲しい。それが僕の願いだし、志半ばで命を失った我が師匠も、生きていれば多分同じ事を言うだろうと思う。今回の事件で失った「命」を無駄にしない為にも。

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最後に、「秋葉原通り魔事件」で命を失った方々へ。心よりご冥福をお祈り致します。

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